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Circus a biography |
1989年
5月、ギター/作曲の Alain Chiarazzoとヴォーカル/作詞 Denis Carnevaliによりバンド Eclat de Vers結成(結成当時の名前はEclat de Vers)。 Alainは、Quartier NordやLeda Atomicaなどのバンドと共にすでにフランス各地で演奏していた。Denisは、PolygramにFrancis Lalanneのプロデュースによるアルバムをレコーディングした経験がある。ドラムの Fabrice Di-Mondoとベースの Serge Manzoのサポートを得て、Eclat de Vers は初ライブでTremplin rock regional d'Arles(アルル地方ロック・スプリングボード賞)を獲得、バンドはその後、フランス南東部でライブを数本行った。
1990年
春、いくつかの重要な出来事が起きた。ヴァージン・メガストアのオープン時と、Jean-Louis Aubertの前座としてパリのTourtour劇場での1週間公演。6月、Pascal Versiniがキーボードとして加入、バンドはいくつかの有名なフェスティバルで演奏、とりわけSemnozのフェスティバルではAngeの前座として演奏する。秋、新しいベーシスト Laurent Tomannが加入。Eclat de Versは、Francis LalanneによってVitry Festivalに招かれる。続いてファーストアルバムを4日間でレコーディング。
1991年
4月、アルバム『Eclat de Vers』発売。プロモーションツアーを行い、パリのTheatre Dejazetでファイナルを迎える。バンドが成功を収め始めていた6月に悪いニュースがあった。結成メンバーの片割れであるDenis Carnevaliが作家になるためにバンドをやめると告げる。それでもバンドは前向きに対応するよう努め、翌週、地方テレビ局のためにセッションライブを収録。これを契機としてAlain Chiarazzoが歌う。
1992年
Eclat de VersはEclatと改名し、セカンド・アルバムのレコーディングに取りかかる。このレコーディングは数回に分けて行われる。『Eclat II』というシンプルなタイトルのCDが5月に完成し、10月にリリース、流通はMuseaが担当する。バンドはパリの“第3回プログレッシブロック・フェスティバル”で演奏。Michel Isnardがセカンドギタリストとなる。Eclatはその後スタジオに戻り、ヴォーカルにChristian Decamps(Ange)を迎えて『Circus』を再録音する。

1993年
2月、EclatとArrakeenはマルセイユのEspace Julienでジョイントコンサートを開催。その直後にPascal Versiniがバンドを脱退。そのためAlain Chiarazzoが一時的にギタリスト/ボーカリスト/キーボーディストとなる。幸いにも、5月にThierry Masseがキーボーディストとして加入し、バンドはSoulac Festivalで再び演奏することができた。秋、Ch.Decampが歌っている『Circus』を含むコンピレーションCD『Ugum pt2』発売される。
1994年
Museaが『Vitriol』を含むコンピレーションをリリース。Eclatは新しいベーシストChristian Magroと共に春のツアーを行う。Pendragonの前座として2本のライブを行う。
1995年
この当時、バンドはよりインストルメンタルな方向に向かうことを決定。Michel Isnardが一時的にベースに転向。Cafe Julienでのライブの後、Eclatは1年間の活動休止を決定。Alain とMichelは、Philippe Troisiと共にアコースティック・アルバム『Guitare en Trio』をレコーディング、Fabriceは、レーベルKezako Musicを立ち上げる。
1996年
Eclat再結成:Jean-Marc Negreがボーカルを担当するが最終的にはコーラスのみとなる。Philippe Marengoが1回のライブのみ新ベーシストとして参加、その後Philippe Troisiと交替する。5月と6月、4本のライブで演奏、そのうち最も重要なものは米バルティモアのProgScape2への出演(Alain Chiarazzoの報告を参照)。 Eclatは最初の2枚のアルバム『Eclat de Vers』と“『Eclat II』を『Vol. I&II』というタイトルの一枚のCDにプレスし直してKezako Musicによりリリース。秋、アメリカでのライブの成功によって得たエネルギーで、バンドは3枚目のアルバムの準備に取りかかる。
1997年
4月、ニューアルバム『Volume 3』をKezakoからリリース。MSIによって流通。11月、Espace JulienでFishの前座として演奏。
1998年
EclatはパリのPrintemps Progに参加。その後、東京へ。PRRがマネージメントしたライブ2本を行う。一つはGerardとのジョイントライブを渋谷Egg Manで, もう一つはワンマンライブを吉祥寺Silver Elephantで演奏した。6月、反対にEclatがマルセイユにGerardを迎えるてジョイントライブを行う。ジェラルドはマルセイユの、Eclatは東京のライブアルバムをそれぞれリリースする。Eclatの『Marseille-Tokyo』のリリース元は再びMuseaとなった。
1999年
3月にライブアルバムをリリースし、Wappa Gappaをスペシャルゲストに招いてStudio Hyperionでコンサート。その後この日本のバンドと共にJas' Rod(Les Penne Mirabeau)で記念すべきジョイントコンサート。10月、MichelとPhilipeの脱退と才能ある若きベーシストBruno Ramousseの加入が加入。雑誌HarmonieのNo.37の表紙にEclatが掲載される。
2000年
1月と2月は、リハーサルに集中する。Stairway Cafe(マルセイユ)でライブ2本、3月、Baja Prog(メキシコ)への初参加し大成功を納める。EclatはTryoと共にこのフェスティバルでのブライテストホープとなった。その後マルセイユに戻ってProg' Sudの準備。Eliane Armansaと団体Trilogieの支援を得て、フェスティバルの企画に着手する。これ以降FabriceとAlanは2つの顔をもつことになる。Quartiers Nordのオペレッタの歌のアルバムのレコーディングのために数ヶ月間活動休止。ライブシーズンの締めくくりとして10月にベルギーのVerviersの伝説的クラブ、Spirit of 66への出演を主な目的としたミニツアーに出る。
2001年
3月、メキシコに再び招待される! ElatのBaja Progへの2回目の参加は前回以上に注目された。このフェスティバルは他の多くのバンドとの関係を築く機会でもあり、それらのバンドのうちのいくつかは次のProg' Sudに参加することになる。再びバンドは主催者に変身し、2回目のフェスティバルの企画に着手する。Eclatのライブは再び成功。8月、St. Palaisで開催されるフェスティバルCrescendoに参加。Eclatはより幅の広い聴衆に好評を博す。9月、ニューアルバム『Le cri de la Terre』の準備に取りかかる時がきた。12月、マルセイユのstudio Hyperionでスタジオワークが始まる。
2002年
この年の初めは、ほぼ毎日スタジオ作業。1月初めにレコーディング終了、続いてミックスが始まる。CDは2月末のメキシコ出発までに制作しなければならない! 今回、Eclatは演奏しないが、FabriceとAlainがBaja Progで『Le Cri de la Terre』を一般発売に先駆けて紹介する。Museaのブースで大好評だったEclatのニューアルバムはこのフェスティバルで最も売れたCDの一枚となる。演奏をしていないのに!帰国すると、Prog' Sudの準備に専念。Eclatはこの年は演奏しないことにしたが聴衆は少しがっかりしているようだ...一大決心をする:バンドのサウンドを厚くするために新メンバーを募集する。
2003年
再び数ヶ月間の小休止の後、Jeroome Leroyと共にリハーサルを再開。彼によってサウンドにサックスとアコーデオンが加わりバンドが強化される。Prog' Sud 2003で初ライブを行う。聴衆の反応によってこの選択が的確であったことが証明される!続いて9月にスペインのCadix festivalに出演、オランダのProgFarmにも参加。
2004年
この年は(またしても)静かに始まる。リハーサルのための時間が足りない...Prog' Sudでの『Fiesta Prog』がFabrice Di Mondoのドラムを聴く最後の機会となるだろう。マルセイユやその周辺地域を探した後、最終的にイタリアの友人のバンドOdessaのMarco Fabbriに依頼することを決める。9月に行われたリハーサルが、自らの姿を探し求めていたバンドに新しい息吹を与えることになる。10月のCnvention Prog' Resisteが“新生エクラ”を紹介する機会となる。バンドの演奏はとても注目され、CD売り場の在庫は数分間で空になる!11月、バンドはライブを2本行うためにブラジルに出発。この2つのライブは暖かい交流と豊かな発見の場となる。しかし少しだけ変調が発生、話し合いのあと、Jerome Leroyがバンドをやめることになる。
2005年
この年の初めは、たくさんの計画と共にスタート。最初の大きな予定は、Sarlatのフェスティバルだ。Eclatは“アウトサイダー”として招待されていた。しかし残念ながら聴衆は少なかったものの大好評を博す。4人編成は順調だったが、倦怠感に陥ったベーシストBruno Ramousseが、Prog' Sud終了後に引退すると発表。しかしこのライブは大規模停電のために行われなかった。“生存者たち”は諦めなかった。ThierryとAlainは逸材を探し始め、才能豊かで数々の音楽的冒険で知られるベーシストFred Schneiderを選んだ。以後、Eclatは強固なリズムセクションを有することになる。(Fred, Marco,ありがとう!)
6月、Festival Gong(イタリア)でこの“ドリーム・チーム”がデビュー。今回、Eclatはメインアクトとして出演。遅い時間帯の演奏であったにもかかわらず、音楽好きで勇気ある観衆を飽きさせなかった。Fredは、選考委員全員一致でフェスティバルの最優秀ベーシストとして認められる。
10月、Eclatは、アメリカのレーベル、Clearlightの要請で『Mare Nostrum』(Volume3に収録)の新バージョンをレコーディングするためにスタジオに入る。これは、『Pirate Tales』というタイトルのコンピレーションに参加するためである。11月、残念なことにチリ・ツアーが延期される。
2006年
“新生エクラ”は、断固とした決意でこの年に挑戦する。Prog' Sudが最初の“本当の”ライブとなるだろう。バンドのレパートリーを新しくすることに取り組まなければならない。新曲3曲を準備中! 来日ツアーを準備中。
(荒川恒子訳)